浜名湖の誕生

氷河期 /約12,000年前
縄文海進期 /約6,000年前

明応の大地震と今切の出現

<奈良時代〜平安時代>
<平安時代〜鎌倉時代>
<鎌倉時代〜室町時代 今切出現>
<江戸時代初期〜元禄年間>

浜名湖歴史年表

平安時代 貞観4年
 (862)
浜名湖南端から太平洋に注ぐ浜名川河口に「浜名の橋」が架けられ古代東海道、東国方面への交通が確保される。

室町時代

明応7年
(1498)
地震津波により今切が出現、浜名湖は1部海と通じる。
明応8年
(1499)
暴風雨により遠州灘が高波高潮に見舞われ、天白原台地の高師山連峰の斜面が大雨によって山津波を引き起こし、浜名川の河口が埋まる。出口を失った水流は激流となって今切口より外海へ流れ出る。
永正7年
(1510)
暴風雨により今切口が広がる。浜名の橋、高波で破損、以後架橋されず。東西の交通は渡船に頼る。
永禄12年
(1569)
家康堀川城攻め落とす。堀江城主大沢基胤、家康に降伏する。

安土桃山時代

天正2年
(1574)
徳川家康、新居の船守に対し渡船定書を下す。
天正7年
(1579)
家康正妻、築山御前佐鳴湖岬にて斬殺38歳。
織田信長の命により家康の嫡子信康二俣城にて切腹、21才。
慶長5年
(1600)
徳川家康、今切の地に関所を設置する。
慶長6年
(1601)
徳川家康、本坂道の気賀に関所を設置する。
慶長7年
(1602)
徳川家康、今切渡船の運賃定める。

江戸時代

慶長9年
(1604)
徳川家康、東海、東北、北陸の3道に1里塚を築かせる。
(1里36町、1町を60間と定める)
元禄12年
(1699)
暴風雨により関所と新居宿が西方に移転、渡船距離が延びる。
宝永4年
(1707)
大地震により関所と新居宿現在地に移転。
渡船距離は約6kmに。本坂道(姫街道)を往来する人が増える。
享保2年
(1717)
大名、旗本の本坂道の通行禁止。
嘉永7年
(1854)
地震、津波が東海道地方を襲う。新居関所全壊。

明治時代

明治2年
(1869)
太政官布告により新居関所と気賀関所が廃止される。
明治5年
(1872)
宿駅制度が廃止される。
明治14年
(1881)
新居・舞阪間に木橋「浜名橋」が架橋される。
明治20年
(1887)
カキの養殖始まる。
明治22年
(1889)
東海道線全線開通。
明治33年
(1900)
ウナギとスッポンの養殖が服部倉次郎によって始まる。
明治40年
(1907)
浜名湖巡航船が開通(株)を湖西市鷲津に設立。
観光汽船の幕開、昭和52年まで続く。

昭和時代

昭和7年
(1932)
国道の浜名橋が開通、渡船終わる。
昭和28年
(1953)
台風13号により今切口が拡大。
昭和38年
(1963)
東海道新幹線架橋工事完成。
昭和48年(1973) 弁天島〜村櫛の浜名湖大橋完成。
昭和53年
(1978)
国道1号線バイパス今切口の浜名大橋完成。

平成

平成2年
(1990)
アカウミガメを浜松市の天然記念物に指定。
平成9年
(1997)
2004年の国際園芸博、村櫛半島での開催が決定。

1万年前の氷河期の浜名湖は、今日の湖と呼ばれる姿はなく小さな内湾であった。それが6千年前頃になると、地球の温暖化により縄文海進と言う現象によって海面が5メートル余り上昇し、海域はその湾に流入していた川により深く侵入し現在の原形となる内湾となったようである。その後、3500年前になると湖南部の湾口部は徐々に起こっていた砂の堆積が天竜川から流出した土砂や、潮流により海から運び込まれた砂によって湾口部はせき止められ、海水と川の水が混じり合う汽水湖が生まれた。さらに進んで約1800年前には湖の水位は外海より1メートル程高くなり、その為、湖から外海へ流れ出る浜名川に向かって満潮時でも水が逆流することがなく、湖は淡水湖となった。

その後長く淡水湖であった湖も今から501年前の室町時代明応7年(1498)8月に大地震(明応の大地震と呼ばれる)が引き起こされたが、遠州灘沿岸地方では浜名湖は外海よりも水位が高い湖であったために津波は湖に浸水することはなかった。ところが浜名湖の水面が地震により1メートル以上沈下した。その結果湖と外海の水面が直接つながった。翌明応8年6月には5、6年に一度襲うという暴風雨に見舞われ外海からの高波、高潮が湖内に侵入した。この高波で前年の地震で地盤沈下した海岸の各集落は高潮の大被害を受けた。また、天白原台地の高師山連峰の斜面が大雨によって山津波を引き起こし、この土砂崩れにより浜名川の河口が埋められてしまい、浜名川の水は出口を失った。排水口を失った水流は強大な激流となって砂堤が低く、地盤の弱いところを破って外海へ流出し今切が出現したと考えられる。この今切が出来て今年で501年目を迎えたのである。
『浜名湖』はその昔「遠っ淡海」と呼ばれ、遠江の国名ともなった歴史の湖である。京に近い琵琶湖が「近っ淡海」と呼ばれるのに対し、京から遠く離れた浜名湖を都の人たちは「遠っ淡海」と呼んだ。
それがいつ頃からか「浜名のうみ」と呼ばれるようになり、「浜名湖」の名称が定着して今日に至っている。